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思想や妄想

「チ。―地球の運動について―」について。ネタバレ含む

「チ。―地球の運動について―」について、全巻読んだ感想を語りたい。ネタバレ注意

人を動かすのは感動だ。知性に感動は劇物であり、しばしば人の人生を狂わす。知性とは流行り病のように増殖し、その欲求は宿主にさえ制御不能だ。
「チ。―地球の運動について―」の主人公達は感動を植え付けられ、知への欲求を追い求める。そして感動を後の歴史に思いを託し去っていく。

前書き

間違いなく面白かったのだが、「この作品は面白い」というコンテキストを与えられた上で読んでしまったのが少し残念だった。
この面白いという感情が自分から発せられたものかわからなくなってしまうので、まっさらな気持ちで出会いたかった。

要約

東京の空に感動は無いと思う。ふと空を見ても真っ暗、月だけがぼんやり輝いているくらいだ。「チ。―地球の運動について―」の舞台は15世紀のヨーロッパで、産業革命以前の空はきっと星々で輝いていただろう。
ラファウは合理的なものが好きで、規則正しく決まって動く星々の合理性に美しさを感じていた。しかし理論で理論を繕う天動説は彼にとって非合理的であり、それは合理的な人生に不要なものと切り捨て様としていた。でも彼が生きた時代にはハッキリと満点の星空が見えてしまったのだ。結果として合理的で美しい地動説を愛してしまい、この知への欲求を止められなかった。ラファウは不正解で無意味な選択に意味を見出してしまったのだ。

チ。―地球の運動について― 1巻 144ページより

そしてラファウはこの感動を後の世に託す。

「チ。―地球の運動について―」で印象的だった場面は死に際の顔だった。
自分の欲求を追い求めた結果としての死はとても満足がいくものなのだ。この世界で満足した顔で死んでいける登場人物は少ない。宗教に抑圧された世界で思想の自由は無く、知性とは階級により与えられる場合も与えられない場合もある。この世界は神により作られたもので、聖書に書かれた常識が全てだ。

チ。―地球の運動について― 4巻 8ページより

非道徳的な世界を正すために選ばれたものが知性を使い、正すべきだと信じていた。しかしバデーニはオクジーが書いた本に感動してしまった。感動が歴史を超えて世界を繋げる。感動とは後の世に伝えたくなってしまうものだ。数千年後にこの感情を伝えることができる文字は奇蹟。

しばしばこの漫画は少し噛み合えば物語が終わってしまう所で話が続く事がありとても歯がゆい。ノヴァクは常に悪者として場をかき乱す舞台装置だった。ラファウが自死を選んだと知った時に彼の感情は激しく動かされ、自分の信念に疑いを向ける。ただ彼はこの感情に動かされなかった、故にこの漫画の悪者として扱われる。

チ。―地球の運動について― 1巻 107ページより

自分の信念を崩す存在と敵対する時、また見方によっては悪者になりえる。自分の固定概念を揺るがす存在と対峙する際に後悔のないように生きろと言われている気がする。ヨレンタは自分の感動を信じるために行動し続けていた。その結果悔いは無かっただろう。遅くなっても良いからその疑いから目を背けず向き合う。ずっと後悔し続けていたノヴァクも最後にやり残しを精算し安らかに逝く。

以下蛇足

「チ。―地球の運動について―」は自分が受け取った感動を後の世に伝える話だと思う。またそれは歴史を跨ぐ広大なテーマの一つに過ぎないかもしれない。それを『チ』というマルチミーニングなタイトルで多角的にアプローチしている事にまた感動する。
現代において感動を共有する事は比較的楽に行うことができて、それでSNSで他人の感情に自分の感情さえも押し流されることがよくある。他人の感動を自分のものにしていると感動に疎くなってしまうかもしれない。だから自分が感動したものは文字に起こして残していきたい。それを受け取り吐き出す事で自分の感動を消化していければ、この感動は生き続けるかな。

「フベルトさんは死んで消えた。でもあの人のくれた感動は今も消えない。多分、感動は寿命の長さより大切なものだと思う。―――だからこの場は、僕の命にかえてでも、この感動を生き残らす。」
チ。―地球の運動について― 1巻 142ページより