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思想や妄想

汝のあるべき姿(オタク)に戻れ、デスティニー!

劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM』(前編: 君の列車は生存戦略)を観てきた。
去年くらいから情報は出てたが公開日時が発表されてから延期されることもなく、無事に公開されて良かった。

自分は新宿で観たが、まずまず人が入っていって嬉しい気持ちになる。
10年前にピンドラを視聴してから今の今まで思い出が色褪せないオタク、そこからの10年の間にピンドラを好きになったオタク、様々だ。輪るピングドラムという作品はどれだけの魅力が込められているのだろうか……

これが当時の気持ちなのかは思い出せないが、輪るピングドラムの、最終話を観終わったときの余韻が好きだった。
イクニの物語は不可逆的で、話が進むともう昔には戻れなくて、すべてが終わったときに感傷的になる。
物語の前半はかなり明るく、コメディタッチに書かれている。高倉家の平和で愛に溢れる日常、はたまた荻野目苹果とのドタバタコメディ。これは愛の物語だ、って賢治は言いたいんだ。

以下劇場版に対するネタバレを含む。

今回の劇場版は総集編のお題目で公開された、ちなみに前後編だ。

総集編として12話を前編に抑えるのはとても大変だっただろう、6時間を2時間弱に収めているのだ。その割にカットを感じさせない作りになっており、違和感なく「輪るピングドラム」を味わえた。この辺はパンフでも言及されているが、キャラクターの感情にフォーカスをした再編集を行っていると述べられている。時系列が多少前後してもストーリーに違和感が無かったのはこの手法によるものだ。
この感覚がイクニをイクニたらしめるんだろう。

「きっと何者にもなれないお前たちに告げる。」

表面的に捉えると、オタクたちは否定された気分になるかもしれない。自分にとっても命題だと思っている。
ただこの言葉は輪るピングドラムの物語ではまた別の意味を持っていて、運命の至る場所から来たというプリクリは冠葉と晶馬が愛する誰かから苹果を受け取ることが出来るかわからなかったんだと思う。だからこそ、中央図書館そらの孔分室で出会った彼女からすると、苹果を分け合う事ができた冠葉と晶馬はきっと何者にもなれるんだろう。
愛だよ、これは。

運命乗り換えは完了していないし、冠葉と晶馬がなすべきことってなんなのだろうか、これは後編にお預けです。
やくしまるえつこの新曲も後半にお預け、PVで使われているけど……後編: 僕は君を愛してるは7/22公開予定。

輪るピングドラムの物語は輪る。最終話は終わりでもあり始まりでもあったんだ。
きっと劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM』はオタクの終着駅じゃなく、始発駅。